【世界遺産検定1級一発合格】日本の遺産:富岡製糸場と絹産業遺産群
今回のテーマは富岡製糸場と絹産業遺産群です。
2014年に世界文化遺産として登録されました。
富岡製糸場には訪れたことがあるので、その際に撮影した写真とともに紹介していきます。
登録基準(ⅱ)(ⅳ)
富岡製糸場と絹産業遺産群の登録基準は、(ⅱ)(ⅳ)になります。
[富岡製糸場と絹産業遺産群の登録基準]
ⅱ,産業としての養蚕技術がフランスから早い時期の日本へ、完全な形で移転されていたことを示す遺産
ⅳ,木骨レンガ造など和洋折衷という日本特有の産業建築様式の出現を示す卓越した事例である
日本とフランスの文化交流を表す(ⅱ)と、建築様式を評価する(ⅳ)ということで、覚えやすいと思います。
生糸の大量生産を可能にした技術革新で、絹産業界の発展に大きく貢献し、絹の大衆化に貢献したということで、富岡製糸場は世界遺産委員会にて満場一致で登録された遺産になります。
富岡製糸場と絹産業遺産の頻出項目
ここからは、富岡製糸場に関する頻出事項の中で、私がノートにまとめた項目を紹介していきます。
テキストを読んで理解しにくかった部分や問題集を解いていてよく出る部分を中心にまとめています。
世界遺産としての価値
19世紀後半、江戸時代の鎖国政策によって日本は世界から遅れを取っていました。そこで明治政府は当時海外にも輸出していた生糸を中心として貿易に力を注ぐことになります。
1872年にフランスからポール・ブリュナを招聘し、器械製糸技術と大量生産のための手法を取り入れ、和洋折衷の製糸場を作り上げました。木骨レンガ造りという建築様式や広い空間を確保するためのトラス構造が特徴です。
生糸を大量生産し、産業を活発化させたこの富岡製糸場と絹産業遺産群が世界的な技術交流と技術革新の歴史を表すとして、2014年に世界遺産登録されました。
歴史
富岡製糸場の誕生から操業停止までを以下にまとめました。
[富岡製糸場の歴史]
明治維新後 明治政府が「富国強兵・殖産興業」に重点。生糸を主要輸出品とする
富岡を製糸場の建設地として決定
1872 フランスよりポール・ブリュナを招聘し完成。官営工場として操業開始
→生糸生産に尽力した工女は、その技術を全国に伝えた
→20世紀初頭の世界の生糸市場において日本の立ち位置を築く
1893 三井家に払い下げられ、官営工場としては歴史を閉じる
→民間事業者へ引き継がれ活躍
1987 操業を停止
歴史が長いわけではないですが、19世紀後半から20世紀初頭の重要な日本の産業成長に貢献した遺産ですね。
また、この群馬県富岡が選ばれた理由も頻出問題です。
[富岡が選ばれた理由]
①伝統的に養蚕が盛ん
②土地が広い
②製糸業に欠かせない水が豊富
上記3つの理由は必ず覚えましょう!
4つの構成資産
富岡製糸場は単体で登録されているのではなく、4つの構成資産で登録されています。
[富岡製糸場の構成資産]
1,富岡製糸場
⇨1872年に明治政府が設立した官営の製糸場
2,田島弥平旧宅
⇨「清凉育」を確立
3,高山社跡
⇨「清温育」を確立
4,荒船風穴
⇨1905年に建造。岩の隙間から吹き出す冷風を利用した国内最大規模の蚕の貯蔵施設
この4つは頻出なので、必ず内容と名前を一致させて覚えましょう。
まとめと所感
日本の遺産は1級試験全体の20%を占めていますので、テキストの細かい部分や太文字でないところも覚えるようにしましょう。
富岡製糸場には私も訪れたことがあり、上記に掲載している写真はその際に撮ったものになります。
かなり田舎にあり、山や自然が多い空気の美味しい土地に富岡製糸場はありました。一人で行ったため、富岡製糸場に着くまでは思ったより人気が少なくて少し不安だった記憶があります。しかし、製糸場に着くとたくさんの見学者がいました。
時事問題でも触れたように、2023年には富岡製糸場でファッションショーが行われたそうです。活用しながら守っていくという考えを体現した企画となります。
生糸が作られる過程や蚕も見られるので、ぜひ一度訪れて見てくださいね。
[原爆ドームの勉強方法まとめ]
1,基本的な勉強方法
・テキストを熟読↔︎過去問を解くことを繰り返す
・その中で出てくる頻出カテゴリは、自分なりにノートにまとめて理解,記憶する
2,私がまとめた富岡製糸場に関する頻出事項
・登録基準は日本とフランスの文化交流を表す(ⅱ)と、建築様式を評価する(ⅳ)
・官営工場として生糸の大量生産を可能にし、日本の貿易・経済に多大な影響を与えた
・時系列で出来事を覚える
・富岡が選ばれた理由を覚える
・4つの構成遺産を覚える
次回も日本の遺産の重要ポイントについて公開していきますので、ぜひ参考にしてみて下さい!
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。